第44回《J・S・バッハに影響を与えた音楽》D・ブクステフーデ:『プレリュードとフーガ』ト短調
今回紹介する作品はディートリヒ・ブクステフーデ(1637〜1707)のオルガン作品『プレリュードとフーガ』ト短調 BuxWV149です。ブクステフーデというと音楽の専門教育を受けている人、特にバロック音楽を好んで聴いている愛好家の人、或いはパイプオルガンという楽器が好きな人でないと、なかなか聴く機会は少ないかもしれません。ですがその作品の荘厳さ、何よりスケールの大きさには、聴くものを圧倒するような魅力があります。今回はそんなオルガン作品の傑作を紹介したいと思います。
オルガン作品の変化について
今でこそ少し大きめのコンサートホールに行けばパイプオルガンという楽器の音色を楽しむ事ができますが、そう言った場が整うまでは、教会に行かなければ聴くことは出来ませんでした。つまり、パイプオルガンの為の作品は教会で演奏される為に作られ、響きの崇高さに包まれるような穏やかな作品がほとんどでした。言ってみれば主役はその「空間」だったわけです。
しかし、そんな流れ(伝統とも言える)の中で大きな変化を生み出したのがブクステフーデでした。ストップや足鍵盤を駆使して技巧的で華々しい巨大な彼の作品からは作曲家の個性が大いに感じられ、それまでに意識しなかった演奏者にも注目がいくようになりました。
主役は「空間」から「作品」に移っていったのです。
ブクステフーデの影響力
ドイツ・バロック音楽の巨星デイトリッヒ・ブクステフーデは1637年に生まれ1707年(J・S・バッハが22歳の時)にリューベックで亡くなりました。父はデンマークのオルガン奏者で作曲家でしたが、息子ブクステフーデの楽才を認め幼い頃から手許に置いて常に音楽のてほどきをしていたと言われています。1668年31歳の時にリューベックの聖母マリア教会のオルガン奏者につき終生この名高いオルガン奏者として献身しました。
聖母マリア教会には大小2つのオルガンが据え付けられ、ブクステフーデはその2つのオルガンで妙演を示した訳ですが、その演奏が評判を呼びヨーロッパ各地から楽徒が集まるようになりました。その中には同時代の大オルガニストであるラインケンや若きヘンデル、J・S・バッハまでもが来ていたそうです。しかもバッハに至ってはアルンシュタットからリューベックまでおよそ400㎞の道のりを徒歩で訪れたという話もあります。大きな感銘を受けたバッハは、もともと1ヶ月の休暇をとっていましたが滞在期間を自主的に延長し教会から叱責され、戻った後はブクステフーデの影響からコラール演奏が一変してしまい周りを困惑させたといわれています。それだけの影響力が彼にはあったということですね。
さて、音楽の父とも言われるあの大バッハにそれだけの影響を及ぼした音楽。どんな作品だったのでしょうか。前置きが長くなりましたが今回は傑作群の中から筆者の好きな一曲を紹介したいと思います。
プレリュードとフーガ ト短調 BuxWV149
曲はいきなり両手による急速なパッセージから始まり、その音の渦中から足鍵盤による荘重な旋律があらわれます。その低音の旋律が反復しながら盛り上がっていく様は、これぞオルガンという感じで一気に心が引き込まれます。
続くフーガは冒頭とは打って変わり、穏やかで崇高な響きを生み出し宗教的な香りを漂わせます。ト短調で始まったフーガですが、最後はニ長調の主和音で終わるこの瞬間もたまらなく美しいです。
そんな響きに酔いしれていると突如即興的なアレグロが始まりまた違った世界へと引き込まれてしまいますが、それはすぐに結ばれラルゴによる新たなフーガへと間髪をいれずに雪崩れ込みます。そこからの響きが積み重なっていく高揚感はまさにドラマティックです。巨大な建造物を見上げているような、そんな事をイメージできる作品だなと筆者は思います。
この様に書いていくと気付かれる方もいらっしゃるかと思いますが、前奏曲とフーガと題されてはいながら、明確に二つの部分に分かれている構成ではありません。むしろ即興的で比較的自由な形式で作られており、リズムやテンポなど様々な対比が試みられている事がわかります。また彼のオルガン作品では低音部に重要な役割を与えており、足鍵盤に独立した声部を置き技巧的なパッセージを与えるなど、結果として非常に厚みのある作品へと仕上げられています。
改めて聴いてみると思うのが、ブクステフーデのオルガン作品が大バッハをはじめとする次世代の作曲家達に与えた影響は計り知れないという事です。もちろん同時代にも作曲家は沢山いた訳で、皆が独創性溢れる作品を生み出していた事は言うまでもありませんが、「オルガン作品の価値観を変えた」という面においては、やはりブクステフーデは頭一つ抜きん出ていたのではないかと感じます。